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大阪地方裁判所 昭和58年(タ)159号 判決

原告

山田甲夫

右訴訟代理人

河合伸一

河合徹子

被告

山田乙子

右法定代理人親権者母

山田丙子

主文

一  原告の主位的請求の訴を却下する。

二  原告と被告との間に親子関係が存在しないことを確認する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  原告の求めた裁判

一  (主位的)

被告が原告の嫡出子であることを否認する。

二  (予備的)

主文第二項と同旨

三  主文第三項と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五二年一一月九日、被告の母である山田丙子(以下、丙子という。)と届山を了して婚姻した。

2  丙子は、昭和五四年七月一日、被告を出産し、同月一三日、被告は、原告と丙子の長女として出生届出がなされた。

3  丙子は、被告の懐妊以来何かと精神的不安症状を来たすことが多く、ことに被告出産後の昭和五七年春ころには、「死にたい」としばしば口走るなどの不穏な言動があつたため、これに不審を抱いた原告が同年三月丙子を詰問したところ、丙子は、以前勤務していた会社の上司林六郎と肉体関係があり、被告が同人との間に生まれた子に相違ない旨を告白した。

4  原告は、右告白を聞いたその日のうちに大阪家庭裁判所に赴き、受付の書記官に事情を述べ、その助言のもとに被告を相手方とする親子関係不存在確認の調停を申立てたが、昭和五七年六月二日、裁判所の指導により右申立を一旦取下げ、嫡出子否認の申立に変更して再度申立をなした。同事件は大阪家庭裁判所昭和五七年(家イ)第二一九五号事件として昭和五八年五月二六日まで同裁判所に係属し、その間に行われた鑑定結果によると、(一)原、被告間の父子関係は否定される、(二)林六郎と被告の間には父子関係が成立し、その確率は98.66パーセントである、というものであつて、被告が原告の子でないことは疑う余地のないこととなつた。

5  ところが、裁判所は、昭和五八年五月二六日の調停期日において、本件申立は民法七七七条の出訴期間を徒過した不適法な申立であるから、家事審判法二三条による合意にかわる審判をすることはできないとの見解を明らかにし、同日調停は不成立となつた。

6  しかし、右出訴期間は、夫が嫡出否認の原因となる出生の事実を知つたときから一年と解すべきであり、そのように解するのでなければ、重大な過失なくして自己の子と信じ、出生のときから一年以上たつてたまたま自己の子でないことを知らされ、奈落の底に突き落とされた夫は、これを否認する方法がないため、いつまでも嫡出子として養育せざるを得ず、通常の人間にとつて期待し得る限度を超えた余りにも苛酷な業務を課されることとなる。

原告が、嫡出否認の原因となる出生の事実を知つたのは昭和五七年三月のことであるから、前記調停申立は、出訴期間内の適法な申立というべきである。

7  仮に右のように解することができないとしても、本件のように鑑定の結果により明確に親子関係が否定される場合には、民法七七二条の適用は排除され、生れた子が夫の子と推定されることはないものと解すべきである。

よつて、原告は、主位的に、被告が原告の嫡出子であることの否認を求め、予備的に、原告と被告との間に親子関係が存在しないことの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし5の事実は認める。

第三  証拠〈省略〉

理由

一〈証拠〉によれば、請求原因1ないし5の事実が認められ、これに反する証拠はない。

右認定事実によれば、被告と原告との間に親子としての自然的血縁関係が存在しないことは明らかで、林六郎との間にそれが存する公算が大であるということができる。

二1  そこで、右認定事実に基き、まず原告の主位的請求について判断する。

被告は、原告と丙子との婚姻中であつて、その成立の日である昭和五二年一一月九日から二〇〇日後である昭和五四年七月一日に出生しているから、原告と被告との関係については、形式的には民法七七二条が適用され、被告は一応原告の嫡出子であるとの推定を受けることになるところ、〈証拠〉によれば、原告は昭和五四年七月一日の被告出生の日に、遅くとも自らその出生届をしている同月一三日には被告の出生を知つたものと認めて差支えないというべきである。他方、原告につき本件訴の提起があつたものとみなされるのは、昭和五七年六月二日である(その理由は以下のとおり。原告は、被告を相手方として、前認定のとおり、昭和五七年六月二日嫡出子否認の調停申立に及んだものの、翌五八年五月二六日不成立になつたため、それから二週間以内である同年六月七日本件訴を提起したことが記録上明らかである。従つて、調停不成立の通知の日は明らかでないにしても、家事審判法二六条二項により右調停申立の時に訴の提起があつたものとみなされることになる)。そうだとすれば、本件訴は、原告が被告の出生を知つた時から民法七七七条所定の一年の期間経過後に提起されたものであることが明らかといわなければならない。

2  しかるに、原告は、嫡出子否認の訴の出訴期間は、民法七七七条の文言にかかわらず、夫が嫡出否認の原因となる出生の事実を知つたときから起算して一年以内と解すべきであると主張するので、この点について検討する。

なるほど、嫡出子否認の訴は、夫が子の出生を知つたときから一年以内に提起しなければならないとする民法七七七条の規定については、これまでもその不都合さを指摘する多くの批判がなされ、法改正の機会に立法的に解決すべきことが要請されてもおり、更に、原告主張と同趣旨の審判例がみられるけれども、同条は、この点につき「夫が子の出生を知つた時から」と規定しているので、これを原告主張のように「嫡出否認の原因となる事実を知つたとき」と解することは(原告の主張では「嫡出否認の原因となる出生」と表現するが結局同趣旨となる)、同条を解釈によつて事実上改正するに等しく、立法論としては格別、現行法下では、解釈論の域を超えたものといわざるを得ない。

よつて、原告の右主張は採用し得ない。

それに、本事案については、次に説示するとおり、民法七七二条の規定の適用が排除される場合であるから、その適用のあることを前提とする嫡出子否認請求の訴は、不適法というほかない。

三1  次に、予備的請求について判断する。

本件において、被告が原告の嫡出子と推定されるべきものであるとすれば、前記のとおり原告が嫡出子否認の訴の出訴期間を徒過したことにより、もはや他にその推定を覆えす方法がなく、法律上、原、被告間の嫡出親子関係が既に確定したものとして何人もこれを争うことができないことになるのであるが、本件においては、形式的には民法七七二条に該当する場合であつても、以上に述べる理由により、同条の適用は排除され、被告が原告の子と推定されることはないものと解すべきである。

2  すなわち、民法七七二条が嫡出の推定を定め、同法七七四条以下において、一定の方法によつてのみこれを覆えし得るものとする嫡出推定、否認制度の趣旨は、妻の婚姻中の懐胎子であつても、夫の子でない場合があることを予想しつつも、その可能性のあることを前提とし、その子の嫡出性に関して濫りに第三者の介入を許すことになると、徒らに夫婦間の秘事を公けにし、家庭の平和をみだす結果になるので、一応これをすべて夫の子として取扱い、最もこれに利害関係を有し、且つ何ら責められるべき点のない夫が自ら夫婦、家庭内の秘事を暴露してまでも父子関係を否定しようと欲するときにのみ、これを否定することを可能ならしめるとともに、その期間を制限することにより、父子関係を早期に確定し、未成熟の子に対する安定した養育を確保することを目的としたものと解される。従つて、この制度は、真実の父子関係を形成するか否かを結局夫の意思のみにかからせているといえるが、本件の原、被告間のように親子としての自然的血縁関係のないことが二義を許さず且つ客観的に明白な場合でも、夫にとつてみれば、その出生を知つてから一年経過後は、その子が自らの子でなく、このことを右期間経過後知つたり、その子を自己の子として養育する意思がない場合にも、親子関係を強制されるものであり、他面、子にとつてみても、自然的血縁のないところに親子関係を強制され、真実の父との法律上の結びつきを拒絶されるという苛酷な結果をもたらしかねないものである。確かに、このような結果も、夫婦間に平穏な家庭生活が営まれているような場合には同時に当該子の福祉につながることにもなるから、家庭の平和の保護という法律の理念の前に忍ぶべきものであるとする理由もあるが、守るべき夫婦、家庭の平和が既に崩壊し、当該父及び母子のいずれもが真実に合致しない父子関係の消滅を望んでいる場合にも、なお、明らかに真実に反する父子関係を維持しなければならないというのは、親子の情愛が本来自然的な血縁に基づくものであり、自然的血縁のある関係こそが真実の親子であるとする国民の一般感情に反し、同時に子の福祉にも反することとなる。

このような場合には、いわゆる真実主義、血縁主義が優先し、真実の血縁関係を求め得る途、真実の父を法律上の父とする手立てが認められるべきである。

これを要するに、夫の子の可能性があることを前提として設けられた民法七七二条の規定の適用上、父子とされる関係にあつても、両者の間に親子としての自然的血縁関係のないことが二義を許さず且つ客観的に明白な場合において、家庭の平和が既に崩壊し、当該父及び母子のいずれもが真実に合致しない形式酌身分関係の消滅を望んでいる時は、もはや現行の嫡出推定、否認の制度的基盤が失われたものというべく、例外的に右法条の適用が排除されると解するのが相当であり、これが身分関係の確定は、当該父または母子において親子関係不存在確認の訴をもつてなし得るというべきである。このように解したとしても、自然的血縁関係のない子であつても、父及び母子がその関係を是として従来の親子関係を維持しようとしている場合には、家庭の平和が保護されるべきであつて、たとえ真実の父や戸籍上の父の実子など密接な利害関係を有する者であつても、父子関係不存在の主張は許されないことになるから、嫡出推定、否認制度の本旨に適合こそすれ、それにもとるとはいえない。

3  本件においては、鑑定の結果により、原、被告間に父子としての自然的血縁関係が存在しないことは、二義を許さず、客観的に明白であるうえ、〈証拠〉によれば、原告と丙子との婚姻関係は既に破綻し、本件の結着を待つて離婚に踏み切る意図が明らかであること、原告にはもはや被告に対し自己の子としての愛情をそそぎ、これを養育していく気持がないばかりか、強く真相に合致した身分関係の確定を希求していること、それに被告の母である丙子も、同様に原、被告間に父子としての身分関係が存在しないことの確定を求める意図であることが認められるのである。これらに加えて本件では、被告はいまだ四歳二か月(口頭弁論終結時)であつて、早期に原告との真実に合致しない父子関係に終止符が打たれることにより、真実の父子関係の形成が促進され、その福祉が確保されると察せられるのであるから、この点も軽視できないというべきである。

以上のような事実関係のもとでは、前記のとおり、被告は民法七七二条の推定を受けないものであり、原告は、被告との親子関係不存在の確認を求めることができるというべきである。

四以上のとおり、原告の主位的請求の訴は不適法であるからこれを却下し、予備的請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(石田眞 松本哲泓 村田鋭治)

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